2016年4月24日日曜日

【Grow into a talent③】私は幸運にもとても若い時にダンスに恋をしました Gillian Lynne/ジリアン・リン(イギリス)


Source: Innvation for Development


1926年にロンドンの郊外で生まれたジリアン・リン(以下Lynne)はイギリスを代表するダンサーである。17歳でロイヤル・バレエ団の前身であるサドラーズ・ウェルズ・バレエ団に入団すると、『眠れる森の美女』などの大舞台で主役を射止め、スターバレリーナとしての地位を確立した。バレリーナを引退後は振付師として、全世界で絶大な人気を誇る『キャッツ』『オペラ座の怪人』『アスペクツ オブ ラブ』などの傑作をプロデュースした。



華やかなキャリアを歩み続けてきたLynneだが、幼少時代は憂鬱な日々を過ごしている。小学校での学業が振るわず、教師からは救いようがない存在として見放されていた。貧乏ゆすりがひどく、机にじっと向かうことができなかったため、遂には小学校側から学習障害のレッテルを張られてしまう。学習障害の通告を受けたLynneの両親は娘の未来をひどく心配し、専門の医者に相談することにした。



母親はLynneを連れて診断室に到着すると、学校での娘の状況を必死に説明し始めた。医師は20分ほど彼女の言葉に耳を傾けた後、Lynneの今後の人生を変えることになる実験を行った。



Lynne、私は君の状況をもっと詳しく把握するために、お母さんと別の部屋で話をしてくるから、ここで待っててくれ」



そう伝えると、医師はデスクに置いてあったラジオのスイッチを入れ、音楽が流れた状態でLynneの母親と部屋を出ていった。そして、部屋の外からLynneの様子をこっそり観察し始めた。



すこし経つと、Lynneは椅子から離れて、ラジオに近づいていった。そして、彼女はラジオのメロディーに合わせて身体を動かし始めたのだ。その様子を確認した医師は母親にこう話した。



「お母さん、娘さんは学習障害ではありません。彼女はダンサーなのです。どうか彼女をダンススクールに通わせてください」



医師のアドバイスに従って、Lynneにダンスを習わせ始めると、彼女はやっと自分の居場所を見つけられた。なぜなら、ダンススクールにはLynneのように身体を動かさないと思考ができない仲間たちがいたからだ。ダンススクールの初日の感想についてLynne自身はこう話している。



「それは言葉で表せないほど素晴らしいものでした。そこには私のような人たちがたくさんいたのです」



ダンスの才能に目覚めたLynneはダンサーとしても、振付師としてもヒット作品を次々と生み出し、巨額の富を築き上げてきた。しかし、ダンスはそれ以上の価値を彼女にもたらしてくれた。



踊ることはLynneが体験した第二次世界大戦という期間を絶望的なものからスリルな時間へと変えてくれた。爆弾が降り注ぐ日常の中でもダンスという喜びが希望を与えてくれたからだ。また、才能を開花させてくれた最愛の母親が交通事故で亡くなった際、踊ることは13歳だった彼女の心を支え続けてくれた。(Lynneは父親も戦争で亡くしている)



20134月、当時まもなく90歳を迎えるLynneは講演会の中で長寿の秘訣について語った。



「私は神に感謝しています。私は幸運にもとても若い時にダンスに恋をしました。そして、ダンスは生きることの目的と理由を与えてくれました」



※これはGillian Lynneのこれまでの人生をまとめた実話です。Lynneの講演の映像はこちら(https://www.youtube.com/watch?v=CX_O3HHYB_k)からご覧いただけます。

2016年4月20日水曜日

【教育私論③】PISAに基づく教育改革は子どもたちをどこに導くか?



前回の投稿に続き、OECD(経済協力開発機構)が2000年から3年ごとに実施しているPISA(国際学力到達度調査)について書きます。PISAとは、義務教育修了段階の15歳児を対象に数学的リテラシー、科学的リテラシー、読解力の3分野における知識の応用力を測定するテストです。



そこで得られる点数と国際順位は大きな影響力を持っており、各国の政府が将来の教育政策に反映させるほどです。例えば、PISAにおける順位の後退は日本のゆとり教育を終わらせ、学校教育の学習内容と授業時間を再び増やす要因になりました。では、PISAに基づく教育政策は本当に子どもたちの未来を明るく照らしてくれるのでしょうか?



PISA2012のアンケート調査によると、数学に対する日本の子どもたちの自己信念は最低レベルでした。自己信念とは5つの要素で構成されており、それらをPISA2012に参加した65の国と地域における日本の順位と一緒に以下にまとめました。(参照:PISA2012調査分析資料集)ちなみに、PISA2012の数学的リテラシーにおける日本の順位は65位中7位でした。



①興味・関心・楽しみ→60

②動機付け(将来役に立つと思うかどうか)→64

③自己効力感(具体的な問題を見た後、それを解けると思うかどうか)→63

④自己概念(わかる、できるという自信があるかどうか)→65

⑤不安(学習に対してネガティブな感情を持っているかどうか)→12位(順位が高いほど不安が大きい)



上記の結果が示すように、日本の子どもたちは数学に対して前向きな姿勢を持てていないことがわかります。しかし、これまでの日本の教育政策に影響を与えてきたのはPISAのテスト結果であり、子どもたちの学習に対する自己信念はそこまで重視されてきませんでした。テストの問題は解けるけれども、学習に対する興味、意欲、自信はあまりない。そんな子どもたちを私たちはこれからも増やし続けて良いのでしょうか?



次にお見せするのは、オレゴン大学のYong Zhao教授が2012年に発表した研究成果です。Yong Zhao教授はPISA2009における各国の点数とPerceived Entrepreneurial Capability(起業に必要な能力を持っているという自信)の関係について調査しました。(参照:TestScores vs. Entrepreneurship: PISA, TIMSS, and Confidence


Source: Education in the Age of Globalization, Yong Zhao


上の図からわかるように、PISAの成績とPerceived Entrepreneurial Capabilityには比例関係が見られません。反対に、PISAでトップクラスの成績を収めているシンガポール、韓国、台湾、日本は新しいビジネスを始めることに対して自信を持っている国民の割合が著しく低い状態でした。



日本は課題先進国と呼ばれるほど多くの深刻な社会問題に直面しているため、問題解決にチャレンジできる人材がますます重要になっています。したがって、子どもたちの起業家精神もPISA型学力と同じくらい大切に育んでいくべきではないでしょうか?PISAのテスト結果を重視するあまり、私たちは大切なものを置き去りにしているのかもしれません。

2016年4月16日土曜日

【教育私論②】PISAトップの上海は新しい学力観へシフト



上海は2426万人の人口を擁する中国最大の都市であり、2009年と2012年に国際学力到達度調査「PISA」において世界トップの成績を収めたことが国際社会から注目されました。PISA(Programme for International Student Assessment)とは、経済協力開発機構(OECD)が2000年から3年ごとに実施している学力到達度調査テストです。その目的は、義務教育修了段階の15歳児がこれまでの生活と勉強で得た知識をどれだけ活用できるかを測定することです。(実際の問題例はこちらhttp://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/からご参照頂けます)



2009年に初めてPISAに参加した上海は、数学的リテラシー、科学的リテラシー、読解力の3分野でトップにランクインし、2012年もトップの地位を独占しました。ちなみに、日本の2012年のランキングは65ヵ国中、数学的リテラシーが7位、科学的リテラシーが4位、読解力が4位でした。



PISAでの好成績は上海の教育に対する国内外の評価を高めましたが、上海政府は更なる点数向上と逆行する教育改革に着手し始めています。その目玉政策は「绿色指标」(グリーン指標)と呼ばれ、テストの点数を含めた以下の5つの指標で小中学校生の学習の質を評価します。



①モラルの発達(習慣、社会的責任、個性と性格、夢と信念など)

②学習に必要な力(知識と能力、自律、応用力、創造性など)

③好奇心と独自性の発達

④身体的・精神的健康

⑤学習の負担(授業数、宿題の時間、睡眠時間など)



なぜ上海はグリーン指標を導入するのでしょうか。その理由は、子どもの全人的発達を正しく把握し、それをサポートするためです。これまでの上海の教育ではテストが支配的な地位にあったため、学校と家庭は子どもの点数を上げるために過酷なテスト勉強の競争を繰り広げてきました。しかし、子どもが将来活躍するために必要な社会的責任、好奇心、身体的・精神的健康などはテスト支配型の教育の下では阻害されてきました。



例えば、自分の幸せだけでなく、他者や社会の幸せを考えて行動する社会的責任は、机に向かって勉強するという個人的作業だけでは育まれにくいと言えます。また、テストの点数をめぐる過剰な競争環境において、子どもたちは問題を解く機械と化し、本来重要な学習の目的と好奇心が損なわれてきました。そのため、上海政府は、未来必要となる学力を育むために、テスト支配型の教育環境を改革する必要がありました。



実は、冒頭で紹介したPISAは日本の教育政策にも大きな影響力を持つテストです。かつて日本の順位が後退した際には、PISAゆとり教育に対する危機感や批判を引き起こした一方で、日本の順位が回復すると今度は教育政策の成果として政治家のアピール要素に用いられてきました。しかし、PISAトップの上海はすでに脱PISAに向けて動き出しています。PISA2015の結果は2016年末に発表される予定ですが、日本が順位の変動に再び一喜一憂する価値はどれほどあるのでしょうか?

2016年4月11日月曜日

【Grow into a talent②】 自分らしく生きさせてくれてありがとう 吳季剛/Jason Wu(台湾)


Source: Official site of Jason Wu

1983年に台湾で生まれた季剛(以下Jason)は、現在世界をリードするファッションデザイナーである。2009年、Jasonが26歳の時には、初めてファーストレディとしてデビューするミシェル・オバマのためにドレスをデザインし、大きな話題となった。



Jasonは小さい頃から変わった子だと思われていた。男の子が好むアニメや車には興味を示さず、代わりに人形遊び、京劇、ファッションショーが大好きだった。Jasonの母親も息子の好みに首をかしげたが、どうやら服に強い関心を持っていることがだんだんとわかってきた。京劇が好きなのも色鮮やかな衣装が用いられるからだ。



しかし、Jasonの趣味は両親以外の人たちには異常に映った。人形への愛情は友達からのいじめの原因となった。また、両親の友人たちが家に遊びに来た際には、至る所に飾られている人形に驚き、「娘がいないのに、どうして人形があるんだ?」と聞いてきた。自分を否定されていると感じたJasonは涙を落した。



普通ではない息子の様子を見て、Jasonの母親は子育ての方針に悩んだ。
「今やっていることを辞めさせ、模範的な男の子として育てるべきか?」
「それとも、Jasonの個性を大切にしていくべきか?」
悩んだ結果、母親は、当時の社会を支配していた常識に反して後者を選んだ。



Jasonがこれ以上来客時に恥をかかないように、自宅に地下室を作り、そこに人形たちを展示するスペースを設けた。また、Jasonには兄がいて、兄は規則正しい環境を好む一方で、Jasonは自由奔放な環境を好んだため、学校選びには二人の個性に合うところを大切にした。やがて、Jasonにデザインの才能があるとわかった時、全国から一流のデザインの先生を探し回った。



だが、Jasonに続き、母親の息子への想いも周囲から冷たい視線を浴びるようになった。
「息子が人形遊びをやっているのに、辞めさせもしないで、逆に手助けしている」
保守的な空気が満ちていた時代において、彼女を理解できる人は少なかった。Jasonの母親自身も自分の子育てについて「他の人たちと違うことをするのは大変な挑戦でした」と振り返っている。



しかし、母親のサポートの下、Jasonはデザイナーとしての才能を開花させた。中学校1年生の時には自ら人形をデザインし、ネット上で販売するビジネスを始めた。大学はニューヨークでデザインを学ぶ一方で、ファッション業界の人脈を作るために業界人が集まるバーで2年間働いた。その後、そこで知り合った人たちの協力によって、自身のファッションショーを大学4年生の時に開くことになる。これらの積み重ねがやがて大統領夫人のためにドレスをデザインするという大仕事につながっていく。



Jasonの母親はいつも息子の人生をヒヤヒヤしながら見守っていたが、今は、彼の個性を尊重しながら子育てをしたことが正しいとわかった。名声を得た後でもJasonは1日20時間働くことがある。彼はファッションデザインを愛し続けていた。ある日、Jasonが言った言葉に母親はとても感動させられたという。その一言は彼女が行ってきた子育てをシンプルに表していた。


「ありがとう、ママ、僕に自分らしく生きさせてくれて」




※これはJason Wuのこれまでの人生をまとめた実話です。
Jason Wuのオフィシャルサイトはこちら(http://www.jasonwustudio.com/)からご覧頂けます。

2016年4月7日木曜日

【教育私論①】成熟社会を生きる子どもたちの教育



日本は1980年代の終わりに成長社会を終え、成熟社会に突入しました。成長社会とは、生活に必要な物やサービスが不足し、それらに対する人々の需要がたくさんある社会でした。一方の成熟社会とは、逆に物やサービスが満ち足りて、人々の需要が少ない社会です。



なぜ成熟社会へのシフトが起きたかと言うと、私たちが欲しい物やサービスがほとんど揃ったからです。成長社会では、人々の生活の不便に応えて企業は洗濯機、冷蔵庫、掃除機、炊飯器、クーラー、カラーテレビ、自家用車などの新商品を次々と生産し、私たちの問題を解決していきました。例えば、洗濯機を買うことで主婦たちの睡眠時間が1時間増えたと言われています。



ところが、欲しいものが一通り手に入ると、これ以上お金を使って何かを購入する必要性はなくなります。正確に言えば、生活をより豊かにしてくれる物やサービスがあれば、人々は今まで通りそれらを欲しがるのですが、成熟社会の人々の需要は高度化・複雑化しているため、成長社会よりも新たな物やサービスの発明が難しくなりました。90年代以降のヒット商品をちょっと考えてみても、成長社会のものほど多くは思い浮かばないのではないでしょうか。



消費意欲の低下に加えて、日本は2010年以降から人口減少時代をも迎え、需要の縮小が加速し続けています。ものが売れないために、企業の業績は悪化し、働く人たちの給料は下がり、最悪の場合は失業につながります。つまり、成熟社会の不況は人々の需要が物やサービスの供給を下回るゆえに発生しているのです。



成長社会から成熟社会に移行するにあたって求められる人材も変化しています。成長社会では、人々の大量の需要に応えるために、生産性や効率性が必要不可欠なものでした。生産費用と時間的ロスを抑えられれば、より少ないコストで多くの商品を作ることができ、その結果、より多くの消費者に商品を送り届けることができます。したがって、成長社会で活躍する人物像とは、1人で何人分もの仕事をこなす生産性を持ち、効率化競争の中で自らの生産性をさらに高めていける企業戦士でした。



ところが、この企業戦士が成熟社会で活躍できる場はかつての成長社会ほど多くはありません。成熟社会では、需要が不足しているため、生産側が生産性や効率性を追求しても、私たちが必要としていない物やサービスが増えるだけだからです。生活を豊かにするアイディアが浮かびづらくなった成熟社会では、生産性や効率性よりも人間の創造性や独自性が重要となり、それに合わせて発明家や芸術家のような人材をどう育てるかが教育の課題になると考えられます。



しかし、子どもに対する日本の教育と大人の態度はときにその子の創造性や独自性を奪ってしまう場合があります。例えば、価値あるものを新たに生み出すためには実験と失敗を繰り返す必要がありますが、私たちは子どもたちに対して最短ルートで成功することが最高で、失敗することが最悪だと教えてしまっていないでしょうか。したがって、教育に対する私たちのあたりまえにはまだ成長社会型の人材を育成する考え方が色濃く残されていると言えます。

2016年4月2日土曜日

【Grow into a talent①】ダイヤモンドをガラス玉に変える前に 劉大偉/Davy Liu(台湾)




自信がない少年


後にディズニーやルーカスフィルムのイラストレーターとして活躍する劉大偉(以下Davy)は1968年、台湾の台中で生まれた。両親はパン屋を営み、Davyは6人兄妹の末っ子だった。


幼少時代のDavyは自信が何かを知らなかった。両親の希望で習い始めたピアノは「大人が子どもを懲らしめるための道具だ」と表現するほど、苦痛でしかなかった。10年間、練習を継続したにもかかわらず、Davyはピアノで両親を満足させたことは一度もなかった。


小学校の勉強も大の苦手で、成績はクラス65人中64位だった。ちなみに、65位は知的障がいを抱えたクラスメートであり、当時のDavyは「クラス全員が知的障がいの生徒なら自分が1位になれるのに」と考えていた。


Davyが唯一興味を持っていたのは絵を描くことだった。授業での一番の楽しみは教科書に落書きをすることであり、アイディアが次から次へと浮かんだ。

「孔子が各国を回るのは大変だから、車を一台プレゼントしよう!」
「国父(孫文)がもし古代の美女だったら?」
「教科書の全ページに小人を描けば、パラパラめくると走り出すね」




絵を描く時だけDavyは嫌なことをすべて忘れることができた。


しかし、周りの大人は彼の絵に対する情熱を応援することはなかった。授業中の先生は落書きをするDavyを見つけると、チョークミサイルを飛ばしてきて、「Davy!絵なんか描くな!そんなもので将来飯は食えないぞ!」と怒鳴った。


Davyの母親もまた絵の価値を認めてくれなかった。一度、Davyが感謝の気持ちを伝えるために母親の絵を描き、それを本人にプレゼントした。だが、翌日、Davyは自分が描いた絵を家のゴミ箱で見つけた。「ママは勉強とピアノ以外は興味がないんだ」と悟った。



人生の転機となる中学時代


学校の成績でビリを取り続ける息子に失望していた両親はDavyをアメリカの中学校に送り出すことにした。Davyは勉強とピアノの地獄からやっと抜け出せたとほっとしていたが、新たな困難が待ち受けていた。


Davyはアフリカに着いたと思った。なぜなら、彼が通うフロリダの中学校は黒人学校だったからだ。背が低く、英語も現地の文化もわかっていない華人はすぐにいじめの対象となった。


憂鬱な日々を過ごしていたDavyを救ったのは美術のCase先生だった。美術の授業でCase先生はDavyの美術の才能を見つけ、「Davy, You are very talented!」と言ってくれた。「talent」の意味がわからなかったDavyは最初、先生に叱られていると勘違いしたが、家に帰って辞書で意味を調べると、talentが才能や天才という意味だと知った。


「絵を描くことは金にならないと両親に言われている」とDavyが話すと、Case先生はDavyの両親との面談を申し入れ、彼を美術の道へ歩ませるようにサポートしてほしいと頼んだ。


Case自身も全力でDavyの才能を開花させるべく日々描画の指導に当たった。自己肯定感が弱いDavyは自分の作品を卑下したが、Caseは「You can do it!」と励まし続けてくれた。そして、Caseの「You can do it!」という言葉は後にDavyが起業するKendu Filmsの名前の由来となる。


Davyの人生が大きく変わったのは全米最大規模の中学生アートコンテストに参加した時だった。当初、Davyはこのコンテストに参加するつもりはなかったが、Caseが彼の「東洋のドラゴン」(アメリカの現代建築を龍の形につなぎ合わせた作品)をこっそり提出していたのである。


結果は予想外の全米20位以内の入賞。当時、Davyはこの大会の影響力を理解していなかったが、実はアメリカ社会が非常に注目している大会だった。Davyはレーガン大統領からお祝いの手紙をもらうとともに、彼の中学校は優れた美術の人材を輩出する学校と認定され、美術科が設立されることになった。後に、この功績によりDavyは卒業生の代表発表者に選ばれることになる。


Davyは一躍いじめられっ子から学校のヒーローに生まれ変わった。そして、彼は自分の使命を芸術に見出すようになる。

「自分の創造力が発揮されるのはテスト用紙ではなく、白紙を渡された時だ」

そう悟ったDavyは本格的に芸術家を志すようになる。



母親との葛藤


全米大会で入賞しても母親はDavyの才能を応援することはなかった。母親にとっての息子の幸せは良い学校に入り、良い会社に入ることだった。


高校時代のDavyはミケランジェロの作品に魅せられ、部屋にこもって人間の裸体を描き続けた。Davyの母親は息子の頭がおかしくなったと思い、彼に描くことをやめさせようとした。


やがて、アトランタの美術大学に入学したDavyはわずか1年で大学に通う意義を見出せなくなった。自分が理想とする芸術と方向性が違うと感じた。


「毎日、レポートを書くことが芸術なのか?」
「そんなことをするためにここにいるわけではない。自分は絵を描きたい」


Davyは退学したい気持ちを両親に打ち明けた。すぐに母親が台湾から飛行機でやって来て、あらゆる方法で退学を阻止しようとした。


「これはわが家、最大の悲劇よ!!」
「わかっているわね?!両親があなたの学業のために、どれだけ台湾で頑張ってきたか!こんな仕打ちを受けるなんて、どれだけ私たちを傷つけるつもりなの?」
Davy、もし大学を続けてくれたら、車を一台買ってあげるわ」


この時、Davyは思った。親は自分を全くわかっていない。自分が必要としているのはお金でも車でもなかった。必要だったのは、親が自分の夢を理解し、支持してくれることだった。結局、Davyは母親の執念に根負けし、自分に合う学校への転校を条件に学業を続けることにした。



ディズニーのイラストレーターとして


転校先の学校はディズニー社が実習生を選抜しに来る対象だった。ディズニーの実習は毎年1万人中8人が選ばれる狭き門だったが、Davyは半年に1回行われる選抜テストに参加することにした。1回、2回、3回・・・4回目でようやく実習生の権利を勝ち取った。


ディズニーに入社後は一流のアーティストたちと一緒に仕事をした。「美女と野獣」「アラジン」「ライオンキング」「ムーラン」などのディズニーの代表作を手掛ける一方で、「スターウォーズ」の制作チームにも加入した。


トップアーティストとして一週間で3000ドルを稼ぎ、高級マンションも手に入れた。マイケル・ジャクソンには「ライオンキング」、ダイアナ妃には「美女と野獣」の描き方を指導したこともある。Davyは名声も富も手に入れた。


何もかもがうまく動き出したかと思われたが、Davyは突如原因不明の恐怖症を発症した。呼吸が苦しくなり、心臓は爆発しそうになる。本気で自分はもうすぐ死ぬのだと思った。両親がたまらなく恋しくなり、台湾の家に帰りたいと電話しても、「そんなに良い仕事があって、なんで帰るの?!飛行機代がもったいない!」と冷たくあしらわれた。


両親の冷たい対応に深く傷つくDavyだったが、友人の紹介で精神科医に会うことになった。その先生はいくつか質問をした。


「ありのままの生き方では不都合かね?どうして人のために生きるんだ?」
「あなたのお母さんはあなたにとても期待してきたのではないか?」
「自分が望む生き方をあなたに課してきたのではないか?」


Davyはとても不思議に感じた。どうして初対面の先生が自分の母親のことをよく知っているのだろう。先生の言葉を機にDavyは自分の人生を振り返っていった。


子どもの時からDavyは母親からあらゆることに対して不満を持たれていた。成績は言うまでもなく、いじめられた時も自分が悪いと言われた。嫌いな食べ物は無理やり食べさせられ、勉強、ピアノ、大学・・・Davyが嫌うことを強制され続けてきた。


過去と向き合う中でDavyは「No」が言えない自分に気がついた。「No」を言うのは悪いことだ。「No」を言うのは失礼だ。これまで嫌なことでも母親の期待に応えるために受け入れ続けてきた。しかし、Davyは自分の弱さを克服することにした。もう他人のために生きるのはやめよう。



ダイヤモンドをガラス玉に変える前に



自分を取り戻した後、恐怖症は不思議となくなっていった。そして、Davyはディズニーに続く活躍の第二ステージを模索するようになる。


「もし、アニメの力を通して、自分のような自信がない子どもたちに希望を与えられたら?」
「世の中の職業をCowboyCowに分けられるのなら、今後はCowboyになってみたい」


2004年、Davyは自分の想いを実現すべくKendu Filmsを設立する。会社にはかつて自分を救ってくれたCase先生の言葉「You can do it!」に因んだ名前をつけた。現在はアメリカを拠点に活動する一方で、中国政府の要請により中国アニメのレベルの底上げを任されている。


親に対するDavyの気持ちにも変化が生まれた。自分が受けてきた「填鸭式教育」(詰め込み教育)は自分の親に特有なものではなく、当時の華人社会全体を支配していたものであり、親を責めるべきではないと考えられるようになった。また、たとえ親と子の考え方が大きくかけ離れたとしても、親への愛情が失われることはなくなった。


2013年、Davyは「TED×Taipei」に登壇し、自らの経験を基に理想の教育について語った。


「どの子にも可能性が秘められている。どうか、どうか子どもと向き合ってその可能性を伸ばしてほしい。その子の命からダイヤモンドを見つけ出した時、子どもは自らの力でそれを磨き始めるでしょう。そのダイヤモンドはやがて人を照らすほどのまばゆい光を放ちます。幸運と才能はどの子にも備えられている。ただただ、私たちがダイヤモンドをガラス玉変えてしまわなければ」




※これはDavy Liuのこれまでの人生をまとめた実話です。
Davy LiuTEDはこちら(https://www.youtube.com/watch?v=Lm4vgG-0loo)からご視聴頂けます。