2016年4月2日土曜日

【Grow into a talent①】ダイヤモンドをガラス玉に変える前に 劉大偉/Davy Liu(台湾)




自信がない少年


後にディズニーやルーカスフィルムのイラストレーターとして活躍する劉大偉(以下Davy)は1968年、台湾の台中で生まれた。両親はパン屋を営み、Davyは6人兄妹の末っ子だった。


幼少時代のDavyは自信が何かを知らなかった。両親の希望で習い始めたピアノは「大人が子どもを懲らしめるための道具だ」と表現するほど、苦痛でしかなかった。10年間、練習を継続したにもかかわらず、Davyはピアノで両親を満足させたことは一度もなかった。


小学校の勉強も大の苦手で、成績はクラス65人中64位だった。ちなみに、65位は知的障がいを抱えたクラスメートであり、当時のDavyは「クラス全員が知的障がいの生徒なら自分が1位になれるのに」と考えていた。


Davyが唯一興味を持っていたのは絵を描くことだった。授業での一番の楽しみは教科書に落書きをすることであり、アイディアが次から次へと浮かんだ。

「孔子が各国を回るのは大変だから、車を一台プレゼントしよう!」
「国父(孫文)がもし古代の美女だったら?」
「教科書の全ページに小人を描けば、パラパラめくると走り出すね」




絵を描く時だけDavyは嫌なことをすべて忘れることができた。


しかし、周りの大人は彼の絵に対する情熱を応援することはなかった。授業中の先生は落書きをするDavyを見つけると、チョークミサイルを飛ばしてきて、「Davy!絵なんか描くな!そんなもので将来飯は食えないぞ!」と怒鳴った。


Davyの母親もまた絵の価値を認めてくれなかった。一度、Davyが感謝の気持ちを伝えるために母親の絵を描き、それを本人にプレゼントした。だが、翌日、Davyは自分が描いた絵を家のゴミ箱で見つけた。「ママは勉強とピアノ以外は興味がないんだ」と悟った。



人生の転機となる中学時代


学校の成績でビリを取り続ける息子に失望していた両親はDavyをアメリカの中学校に送り出すことにした。Davyは勉強とピアノの地獄からやっと抜け出せたとほっとしていたが、新たな困難が待ち受けていた。


Davyはアフリカに着いたと思った。なぜなら、彼が通うフロリダの中学校は黒人学校だったからだ。背が低く、英語も現地の文化もわかっていない華人はすぐにいじめの対象となった。


憂鬱な日々を過ごしていたDavyを救ったのは美術のCase先生だった。美術の授業でCase先生はDavyの美術の才能を見つけ、「Davy, You are very talented!」と言ってくれた。「talent」の意味がわからなかったDavyは最初、先生に叱られていると勘違いしたが、家に帰って辞書で意味を調べると、talentが才能や天才という意味だと知った。


「絵を描くことは金にならないと両親に言われている」とDavyが話すと、Case先生はDavyの両親との面談を申し入れ、彼を美術の道へ歩ませるようにサポートしてほしいと頼んだ。


Case自身も全力でDavyの才能を開花させるべく日々描画の指導に当たった。自己肯定感が弱いDavyは自分の作品を卑下したが、Caseは「You can do it!」と励まし続けてくれた。そして、Caseの「You can do it!」という言葉は後にDavyが起業するKendu Filmsの名前の由来となる。


Davyの人生が大きく変わったのは全米最大規模の中学生アートコンテストに参加した時だった。当初、Davyはこのコンテストに参加するつもりはなかったが、Caseが彼の「東洋のドラゴン」(アメリカの現代建築を龍の形につなぎ合わせた作品)をこっそり提出していたのである。


結果は予想外の全米20位以内の入賞。当時、Davyはこの大会の影響力を理解していなかったが、実はアメリカ社会が非常に注目している大会だった。Davyはレーガン大統領からお祝いの手紙をもらうとともに、彼の中学校は優れた美術の人材を輩出する学校と認定され、美術科が設立されることになった。後に、この功績によりDavyは卒業生の代表発表者に選ばれることになる。


Davyは一躍いじめられっ子から学校のヒーローに生まれ変わった。そして、彼は自分の使命を芸術に見出すようになる。

「自分の創造力が発揮されるのはテスト用紙ではなく、白紙を渡された時だ」

そう悟ったDavyは本格的に芸術家を志すようになる。



母親との葛藤


全米大会で入賞しても母親はDavyの才能を応援することはなかった。母親にとっての息子の幸せは良い学校に入り、良い会社に入ることだった。


高校時代のDavyはミケランジェロの作品に魅せられ、部屋にこもって人間の裸体を描き続けた。Davyの母親は息子の頭がおかしくなったと思い、彼に描くことをやめさせようとした。


やがて、アトランタの美術大学に入学したDavyはわずか1年で大学に通う意義を見出せなくなった。自分が理想とする芸術と方向性が違うと感じた。


「毎日、レポートを書くことが芸術なのか?」
「そんなことをするためにここにいるわけではない。自分は絵を描きたい」


Davyは退学したい気持ちを両親に打ち明けた。すぐに母親が台湾から飛行機でやって来て、あらゆる方法で退学を阻止しようとした。


「これはわが家、最大の悲劇よ!!」
「わかっているわね?!両親があなたの学業のために、どれだけ台湾で頑張ってきたか!こんな仕打ちを受けるなんて、どれだけ私たちを傷つけるつもりなの?」
Davy、もし大学を続けてくれたら、車を一台買ってあげるわ」


この時、Davyは思った。親は自分を全くわかっていない。自分が必要としているのはお金でも車でもなかった。必要だったのは、親が自分の夢を理解し、支持してくれることだった。結局、Davyは母親の執念に根負けし、自分に合う学校への転校を条件に学業を続けることにした。



ディズニーのイラストレーターとして


転校先の学校はディズニー社が実習生を選抜しに来る対象だった。ディズニーの実習は毎年1万人中8人が選ばれる狭き門だったが、Davyは半年に1回行われる選抜テストに参加することにした。1回、2回、3回・・・4回目でようやく実習生の権利を勝ち取った。


ディズニーに入社後は一流のアーティストたちと一緒に仕事をした。「美女と野獣」「アラジン」「ライオンキング」「ムーラン」などのディズニーの代表作を手掛ける一方で、「スターウォーズ」の制作チームにも加入した。


トップアーティストとして一週間で3000ドルを稼ぎ、高級マンションも手に入れた。マイケル・ジャクソンには「ライオンキング」、ダイアナ妃には「美女と野獣」の描き方を指導したこともある。Davyは名声も富も手に入れた。


何もかもがうまく動き出したかと思われたが、Davyは突如原因不明の恐怖症を発症した。呼吸が苦しくなり、心臓は爆発しそうになる。本気で自分はもうすぐ死ぬのだと思った。両親がたまらなく恋しくなり、台湾の家に帰りたいと電話しても、「そんなに良い仕事があって、なんで帰るの?!飛行機代がもったいない!」と冷たくあしらわれた。


両親の冷たい対応に深く傷つくDavyだったが、友人の紹介で精神科医に会うことになった。その先生はいくつか質問をした。


「ありのままの生き方では不都合かね?どうして人のために生きるんだ?」
「あなたのお母さんはあなたにとても期待してきたのではないか?」
「自分が望む生き方をあなたに課してきたのではないか?」


Davyはとても不思議に感じた。どうして初対面の先生が自分の母親のことをよく知っているのだろう。先生の言葉を機にDavyは自分の人生を振り返っていった。


子どもの時からDavyは母親からあらゆることに対して不満を持たれていた。成績は言うまでもなく、いじめられた時も自分が悪いと言われた。嫌いな食べ物は無理やり食べさせられ、勉強、ピアノ、大学・・・Davyが嫌うことを強制され続けてきた。


過去と向き合う中でDavyは「No」が言えない自分に気がついた。「No」を言うのは悪いことだ。「No」を言うのは失礼だ。これまで嫌なことでも母親の期待に応えるために受け入れ続けてきた。しかし、Davyは自分の弱さを克服することにした。もう他人のために生きるのはやめよう。



ダイヤモンドをガラス玉に変える前に



自分を取り戻した後、恐怖症は不思議となくなっていった。そして、Davyはディズニーに続く活躍の第二ステージを模索するようになる。


「もし、アニメの力を通して、自分のような自信がない子どもたちに希望を与えられたら?」
「世の中の職業をCowboyCowに分けられるのなら、今後はCowboyになってみたい」


2004年、Davyは自分の想いを実現すべくKendu Filmsを設立する。会社にはかつて自分を救ってくれたCase先生の言葉「You can do it!」に因んだ名前をつけた。現在はアメリカを拠点に活動する一方で、中国政府の要請により中国アニメのレベルの底上げを任されている。


親に対するDavyの気持ちにも変化が生まれた。自分が受けてきた「填鸭式教育」(詰め込み教育)は自分の親に特有なものではなく、当時の華人社会全体を支配していたものであり、親を責めるべきではないと考えられるようになった。また、たとえ親と子の考え方が大きくかけ離れたとしても、親への愛情が失われることはなくなった。


2013年、Davyは「TED×Taipei」に登壇し、自らの経験を基に理想の教育について語った。


「どの子にも可能性が秘められている。どうか、どうか子どもと向き合ってその可能性を伸ばしてほしい。その子の命からダイヤモンドを見つけ出した時、子どもは自らの力でそれを磨き始めるでしょう。そのダイヤモンドはやがて人を照らすほどのまばゆい光を放ちます。幸運と才能はどの子にも備えられている。ただただ、私たちがダイヤモンドをガラス玉変えてしまわなければ」




※これはDavy Liuのこれまでの人生をまとめた実話です。
Davy LiuTEDはこちら(https://www.youtube.com/watch?v=Lm4vgG-0loo)からご視聴頂けます。

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