なぜ成熟社会へのシフトが起きたかと言うと、私たちが欲しい物やサービスがほとんど揃ったからです。成長社会では、人々の生活の不便に応えて企業は洗濯機、冷蔵庫、掃除機、炊飯器、クーラー、カラーテレビ、自家用車などの新商品を次々と生産し、私たちの問題を解決していきました。例えば、洗濯機を買うことで主婦たちの睡眠時間が1時間増えたと言われています。
ところが、欲しいものが一通り手に入ると、これ以上お金を使って何かを購入する必要性はなくなります。正確に言えば、生活をより豊かにしてくれる物やサービスがあれば、人々は今まで通りそれらを欲しがるのですが、成熟社会の人々の需要は高度化・複雑化しているため、成長社会よりも新たな物やサービスの発明が難しくなりました。90年代以降のヒット商品をちょっと考えてみても、成長社会のものほど多くは思い浮かばないのではないでしょうか。
消費意欲の低下に加えて、日本は2010年以降から人口減少時代をも迎え、需要の縮小が加速し続けています。ものが売れないために、企業の業績は悪化し、働く人たちの給料は下がり、最悪の場合は失業につながります。つまり、成熟社会の不況は人々の需要が物やサービスの供給を下回るゆえに発生しているのです。
成長社会から成熟社会に移行するにあたって求められる人材も変化しています。成長社会では、人々の大量の需要に応えるために、生産性や効率性が必要不可欠なものでした。生産費用と時間的ロスを抑えられれば、より少ないコストで多くの商品を作ることができ、その結果、より多くの消費者に商品を送り届けることができます。したがって、成長社会で活躍する人物像とは、1人で何人分もの仕事をこなす生産性を持ち、効率化競争の中で自らの生産性をさらに高めていける企業戦士でした。
ところが、この企業戦士が成熟社会で活躍できる場はかつての成長社会ほど多くはありません。成熟社会では、需要が不足しているため、生産側が生産性や効率性を追求しても、私たちが必要としていない物やサービスが増えるだけだからです。生活を豊かにするアイディアが浮かびづらくなった成熟社会では、生産性や効率性よりも人間の創造性や独自性が重要となり、それに合わせて発明家や芸術家のような人材をどう育てるかが教育の課題になると考えられます。
しかし、子どもに対する日本の教育と大人の態度はときにその子の創造性や独自性を奪ってしまう場合があります。例えば、価値あるものを新たに生み出すためには実験と失敗を繰り返す必要がありますが、私たちは子どもたちに対して最短ルートで成功することが最高で、失敗することが最悪だと教えてしまっていないでしょうか。したがって、教育に対する私たちのあたりまえにはまだ成長社会型の人材を育成する考え方が色濃く残されていると言えます。
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